他人の人生

210310

きょうの夕飯はカレーにしようかどうしようか、朝からずっと迷っている。カレーを作ること自体は何の苦でもないのだけれど、明日は珍しく用事が3つもあるので、「2日目のカレーが食べられない」のだ。それがネックである。いやでもここ1週間くらいは、余った豚肉を使う機会が欲しいと思いながら過ごしてきたので、これをいいきっかけだと思って棚の奥に眠っていた煮干しでだしを取って、ポークカレーでも作ることにするか。

因みに沖縄でポークカレーというと、中に入っているのはスパムのポークである。では、いわゆる一般的な豚肉を使ったカレーは何カレーになるのだろうか。 

 

 

 


みんな、それぞれの痛みを感じながら生きていて、他人の痛みを味わうことは絶対にできない。他人の痛みを100%理解することを「認める」というのであれば、多様性を認めるなんて到底できるわけがない。そんなのもとから不可能だ。それなのに、それっぽい言葉だけがこの世界の上辺をつるつると滑っている気がする。


ポークカレーという名の豚肉カレーが出てきたときにわたしが感じる違和感やズレをまるまる他人に理解してもらいたいとは思わない。ただ、誰かにとってのふつうをズレていると感じているひともいるということ、そして、その人にとってそれは紛れもない事実であり真実であるということを"想像"してもらいたい。想像することしかできないということを知ることができたら、本当の意味で他人にやさしくなれると思う。それは、「痛み」についても同じことがいえるのではないか。なーんつって。