他人の人生

210704

 

頼むからまっとうに、まっとうに生きてくれ。同じわたしが語りかけているとは思えない、誰の意思かも、誰の言葉かもわからない。いまわたしは、過去のわたしに警告する。後から振り返ったときに、悔やむ選択だけはしないで欲しい。結果はどうもできないとして、「悪いほうが面白い」だの、「真面目すぎるのはつまらない」だの、大学生みたいな根拠でものを選ばないで欲しい。言動の責任はお前しかとれない。

 

 

 

 

 

 

会う人会う人に「大人っぽくなりましたね」「雰囲気変わりましたね」と言われる。そりゃあ、社会人になってもう3ヶ月も経つわけだから、ある程度大人ぶっても許されるはず。お給料も3回貰ったし、人生初のボーナスだって経験した。6月の大安の日に、「賞与」と書かれた封筒をもらった。今時ボーナスは現金で渡されるのか!と思ったら、中に入っていたのは折りたたまれた給料明細だった。相変わらず、少し考えたらわかることに驚かされている。

 

わたしの雰囲気が変わったのは、余裕が生まれたから。もう、焦らなくてもいい。焦っていないことを急かす人もいない。自分で働いたお金でちゃんと生活している。せめてそれくらいの誇りは持たせて欲しい。

 

 

でも、わたしがそう思うなら、本当にそう思っているなら、もう若気の至りとか言いながらエッセイのネタを探しに冒険しないで欲しい。わたしはわたしのことが時々、本当に心配になる。「自由人で家庭を省みない」のは、あなたじゃなくてわたしなのかもしれない。わたしはその言葉をあなたではなく、自分に発していたのかもしれない。落ち着きがないのはわたしの方で、諦めきれていないのはわたしの方で、腹を括れていないのも、ぜんぶわたしだった。他人が許せないのは、自分を許せないから。

 

やるもやらないも、選択だ。ひとつひとつを選んでいる。明日からまた新しい1週間が始まる。まっとうに、自分のことを許してあげられる選択をするように。引き受けるのは、あなたでしかないのだから。

 

わたしは頭が良い子だから、ちゃんとわかっているとは思う。でも行動で表さないと、疑われてしまう。こうやって、自分で自分を疑った文章をネットの海に晒してしまう。かたちに、行動に、表さねば意味がない。目に見えない意思とは、そういうもの。意味がなくてもいい意思もあるけれど、これは、だめな方だ。